アメリカに引っ越してたものの、なかなか馴染めない、友達が出来ない、旦那や彼の態度が変わったような気がする、ツライ、こんなはずじゃなかったのに、、、
そんな悩みを感じてはいませんか?
実はこれ、私も全部感じていました。
実際、渡米後の最初の2年間はひどいストレスから鬱のような症状も経験し、毎日泣いていたし、常に離婚危機でもありました。
ここでは子連れ再婚・国際結婚でアメリカに来た私がその時の状況や乗り越えた方法などを詳しくお話ししたいと思います。
アメリカ移住でツライ思いをしている人に届いて欲しいです。
\乗り越えた方法についてはこちらの記事/
アメリカ人夫との2年間の離婚危機を乗り越えて幸せになった方法
アメリカ移住の理由

アメリカ移住の理由は単純です。アメリカには当時交際していた彼氏(現在の旦那=米旦那)と結婚したからです。
国際結婚て増えていますよね。私もその一人です。
交際当時から子どもっぽい部分があることは分かっていましたが、それも含めて受け入れていた”つもり”でした。
渡米後のアメリカ人旦那との関係で辛かったこと

アメリカに来てからのアメリカ人旦那の変化
「アメリカに帰国してからアメリカ人の彼・旦那の態度が変わった・・・」という悩みは非常に多いです!
が、みんなそれぞれ状況が違いますよね。私の場合はこうでした。
- 友達に紹介したい!子供を親に預けて出かけよう!
- 日本語は誰も分からない、子どもに日本語を話すな!
- 子どもは英語で学校に通う、英語を教えろ!
- ここはアメリカ。アメリカ料理を作れ!
- ネガティブにはうんざり!嫌なら日本に帰れ!
これだけ聞いたら、なんて男!と思うかもしれません。私も当時はとっても辛かったです。
でも、言えるのは、「今はとても幸せ」ということです。乗り越えたんです。(追記、頑張って乗り越え、幸せに目を向けようとしましたが、離婚しました。)
乗り越えた方法はあとに書くとして、ここではまず、具体的にはどんな感じで辛かったのか、内容を紹介していきます。
君を友達に紹介したい!子どもを預けての外出を要求される
「友達に紹介したい!」と思ってくれる旦那の気持ちは嬉しかったです。でも、一方で私にとっては苦痛だったのも事実です。
- 渡米して数日後の最初の週末の夜
- 息子は旦那とは血が繋がっていない
- まだよく知らない義両親に預けたくない
義両親としばらく同居する事が決まっていたので、義両親には「しっかり親をしている」ことを見せたいと思っていました。
「来てすぐに子どもを置き去りにして外出したらどう思われるだろう?」という不安を感じずにはいられませんでした。
更に私たちは子連れ再婚だったので、旦那の両親と息子は血も繋がっておらず、義両親に対する申し訳ない気持ちと、子どもが心配という気持ちが私を複雑な思いにさせました。
そこで
「これからいくらでも外出のチャンスはある。友達に会いに行くよりも今はあなたの家族をもっとよく知って生活に慣れる事を優先したい」
と提案しましたが、旦那には受け入れてもらえず、それどころか
「君が友達を作れるように、早く慣れるように手助けしようとしているのに受け入れない=慣れようとしていない」
と不機嫌になられてしまいました。
私が慣れようと頑張る気持ちと彼が私が慣れるのを助けようと頑張る気持ちが完全にすれ違ってしまっていたんです!
結局、彼に自分は慣れようと努力している姿勢を見せるためにその日は子どもを置いて外出しました。
子どもに日本語を話す事を禁止された!
私達は結婚前から子どもがバイリンガルに育ったらいいよね、育てたいよね、と話していたので、バイリンガル教育には理解のあるものだと思っていました。
そのためアメリカでは英語ばかりの生活で子どもの英語習得は問題ないと思っていたので、「日本語が話せる私が子どもに日本語を話し続けなければ!」と意気込んでいました。
周りにアメリカ人の家族や友人が居ても子どもと話す時は日本語にするように頑張っていたんです。
でも、アメリカ人の旦那はそれが気に入らなかったようで「みんなが何を言っているか分からないから英語で話して」と言われてしまいました。
「子どもが学校に行く前に英語習得をする必要があるし、何を話しているか分からないと家族は不快」と言われましたが、私は納得することが出来ませんでした。
「何をいっているのか分かりたいなら聞けばいいし、日本語と英語と両方教えたいのに!」私が思うように教育できないことに悔しさと苛立ち、歯がゆさを覚えました。
英語を教えろ、と言われる事への抵抗感
子どもは既に4歳だったので、翌年にキンダーガーテン入学を控えていました。
アメリカでは子どもの誕生日や学習レベルに応じて入学のタイミングを待ち1~2学年なら遅れて入学させることも可能です。
それでも翌年に入学させようとは思っていたので、英語教育の必要性は私も分かっていました。
その上で英語と日本語を教えたかったんです!
旦那から「英語、英語、英語」と言われる事で日本語を禁止されたような、命令されたような気持になっていきました。
ここはアメリカだから和食を作るな、アメリカ料理を作れ!
日本で暮らしていた時は息子に刺激物を出来るだけ与えないようにしてきました。子どもの為にうす味や栄養を考えた和食を中心に作ってきたつもりです。
でも、そのせいで子どもはコショウも辛い、ケチャップも辛い、チキンナゲットも食べれない…など、味の濃い食べ物がとても苦手でした。アメリカ料理全般がだめだったんです。
そんな子どものために出来るだけ和風な味付けにしたり、栄養バランスの取れた食事を作ってあげたいと思うのは母親として当然ですよね。
でも、アジア系スーパーに連れて行ってくれるように旦那に頼みましたが断られました!
アメリカに居るんだからアメリカの食材で作れ(無理です(笑))
アメリカに居るんだからアメリカの食事を作れ(だからまだ4歳の子どもはアメリカ料理がニガテなんだってば!)
でも、旦那には分かってもらえませんでした。
ネガティブ、トライしないというレッテル
毎回意見が食い違う度に自分の意見を相手に伝えようと話してみるのですが、旦那にはその度に強く否定されていました。
アメリカでは独りぼっち、居場所もない中で唯一頼れる存在のはずの旦那に否定されるダメージはとても大きかったです。
例えば、アメリカ料理ではなく日本料理を作りたい私に、旦那は「お母さんがせっかく教えようとしてくれてるのに学ぼうとしないで失礼だ、僕の家族が嫌いなんだろ!」とどんどんエスカレート。
「お義母さんにこう言われたんだけど、私はそれはしたくないんだけど・・・」相談すると「ネガティブ!僕の家族が嫌いなんだろ!」
旦那の言葉に傷ついたので「そういう言われ方すると傷つく・・」と話はじめようとすると「ネガティブ!」
話す度に「ネガティブだ、家族が嫌いなんだ!友達が嫌いなんだ!アメリカが嫌いなんだ!アメリカに馴染もうとしていない!トライしていない!」と言われて、行き場を無くしていきました。
意見を言わないで従えってことなのかな・・・・?そうすれば上手く行くのかな・・・・?という精神状態になっていきました。
が、今となってはそういう気持ちが更に彼の行動をエスカレートさせていたような気もします。
ストレス!アメリカで義両親と同居

アメリカに引っ越してからしばらくは義両親と同居していました。
旦那が職業トレーニングの学校に通う予定でお金がなかったこと、貯金が沢山できることが大きな原因です。
でも、ハッキリ言います。同居はオススメしません!
旦那が旦那ではなく「息子」になってしまう
旦那は両親を尊敬しています。人生の先輩として旦那より知っている事や人も多く、それは当然だと思っています。
でも、旦那はもう立派な「大人」で、「夫」、義理ではありますが「父」。日本に居る時は滅多に見る事のなかった「息子」としての顔を私はすんなり受け入れることができませんでした。
何かあると私より先に義母に連絡や相談をすることが特に私には許せませんでした。
普段から義母と旦那で物事が決められていき、私がそれに難色を示すと旦那が不機嫌になるという事が多かったので、「私は蚊帳の外、、なんで私ここに居るんだろう?」と思っていました。
家族の時間がない!
私は週末には家族でゆっくり出かけたり、のんびり家で過ごしたりしたかったのですが、旦那は義両親から手伝いを頼まれると無料で住んでいる手前断れず、週末の家族の時間が取れませんでした。
義両親もそれが当たり前と思っているような感じで私にはとても窮屈でした。
思い切って「家族の時間が欲しい」と旦那に言ってみても「家族の時間なら毎週取ってるじゃん、ここで」と言われてしまいました。
義両親の自宅で義両親たちと過ごすことを家族の時間と思っている旦那と、親子3人で過ごすことを家族の時間と思っている私に大きな認識の違いがあったんです!
コントロールフリーク!お節介な義母の存在
旦那のお母さん(義母)はお金の管理や仕事などバリバリできる女性です。
義母は自分の考えが正しい!と突き進むところがあり、嫁いだからには上手くやらねば!と思っていた私は自分の意見が言えないばかりか、義母の強さに圧倒されて自分を見失っていきました。
いろんな事を知っていて頼りになりますが、彼女も人間なので間違っていることや知らないこともあります。
それでも自分の意見を決して曲げない所があるのは旦那の姉(義姉)や義母の友人も分かっていることみたいですが、当時の私はビックリしてしまい、ついていけませんでした。
クレイジーなアジア人女扱い

旦那との口論や義家族との関係で自分を完璧に見失ってしまった私は、結婚したばかりで誰にも相談できず、義母の「なんでも相談して」という言葉に頼るしかなくなっていました。
しかし、旦那との現状を相談するも「慣れない環境でストレスが溜まっているのよ、出かけましょう」と外に連れ出されたり、「女性はホルモンバランスが乱れやすいからピルを飲んだら?」「ドクターに診てもらったほうがいいんじゃない?」と言われたりして傷つきました。
旦那の行動や言動で傷ついているという私の主張は一切理解されず、それどころか私がストレスを感じていると私の問題にすり替わっていったようで、とても嫌でした!
そんな中、旦那との関係は悪化する一方で、誰にも理解されず、旦那とは話す度に話し合いにもならずパニックになり、頭の髪の毛を引っ張ったり、腕や首に爪を立てるようになりました。
怒りの暴力を向ける場所が自分だった、どうしていいか分からなかったんだと思います。
私の言っていること理解しなかった義母はその行動だけを見て「頭がおかしい、ドクターに診てもらった方がいい」、旦那にも「あなたはあの女に利用されている」と言い始めました。
ネグレクト親扱い
こんな環境のせいで私がたどり着いたのは「黙って彼らのやりたいようにさせればうまくいくのかもしれない」という考えでした。
日中はツライという気持ちから逃れられず一人ベッドで一日泣いてテレビを観る生活。子どもには好きなテレビを観させてあげました。
子どものごはんも「和食を作るな」と言われたことから(旦那は作るなと言ってはいないけど私はそう感じていました)何も作る気になれず、シリアルやサンドウィッチなどを与える日々。
私の思い通りにはもう子育てはできないんだ・・・・と絶望していた私は子どものために起きる事も止め、子どもを旦那と義母の好きにさせればいいのか・・・と放置しはじめました。
確かに「ネグレクト」です。誰に何と言われようと子どもを守るべきでした。
でも・・・ツラかったんです。あれが鬱なんだろうな、と思います。LOST(ロスト・迷子)という表現がぴったりで、どうしたら良いか本当に分からなかったんです。
その後も夫婦の葛藤は続きます
こんな風に旦那と私の間の夫婦関係には大きな溝ができ、旦那の家族や友人からは冷ややかな目で見られる状況がおよそ半年以上続きました。
旦那と私はお互いがお互いの事を好きという気持ちを持っていましたし、お互いが長所や短所もすべて理解した上で結婚決めたと思っていたので、上手くいかないもどかしさにお互いがイライラしていました。
この後に別居が始まるのですが、それで全てが解決した訳ではなく、この後も長い夫婦の葛藤が続きました。
アメリカに来て旦那や彼の態度が変わった!なんて思っている人は参考にしてみて下さい。
申し訳ないけど、貴方は相手側に対する不満ばかりで自分が変わろうとしていないのでどんな相手と結婚しても同じだと思います。国際結婚なんて無理です。
郷に入れば郷に従えという言葉があります。アメリカに住むという事は相手の国に合わせなければいけません。
コメントありがとうございます。
アメリカに住んでいるからといってアメリカにあわせなければいけない、というのは多様性に欠けた考えだと私は思っています。
どの国にいても、一人の人間は尊重されるべきだと考えるからです。もちろんお互い尊重し譲り合う場面があるべきですが。
今ではお陰様で夫婦で思いやり、理解しあうことができていますのが、これからも生涯より良いリレーションシップを築く努力を忘れずに生きていきたいと思います。
私も国際結婚しました。現在、アメリカ在住です。今は離婚に向けて別居しています。
旦那と義母がそんな感じです。自分が理解できないからと私と息子が日本語で会話するのを嫌がります。英語は学校に行ってからでも話せますし、旦那さんと彼の家族で英語で話しかければ良いだけです。折角、お母さんが日本人なのだから日本語も覚えさせたいですよね。日本の家族とコミニュケーションがとれなくなってしまいます。
申し訳ないのですが、旦那さんはアメリカ1番って感じですね。では、彼が日本に居たら同じようにするのでしょうか?アメリカ食を一切食べす、日本語をはなすんでしょうか?
私の息子もアメリカ食はあまり好きではなく、日本食が好きです。それで良いと思っています。だってはっきり言ってアメリカ食は不健康だと思います。だから、あんなに肥満や糖尿病の人が多いんです。あなたは日本人なのだから、全部アメリカに寄せる必要なないと思います。日本に居るアメリカ人がどれだけ日本語を話して寄せていますか?
アメリカで生まれ育ったアジア人と私達は違うんです。
コメントありがとうございます。
そうですね。とても苦労しました。
ブログを放置していてまだ更新していませんが、これか過去の記事で、離婚したので今はとても幸せです。
価値観が違う方と一緒に無理しているのは違ったんだな、と今は思えます。